IVUSA TIMES

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第88回【終戦の日特集-後編-】~あなたにとって「戦争」とは?~ 中尾真悟さん、磯崎加奈さん

第88回IVUSATIMESは、前回に引き続き、IVUSA内外で戦争関係のボランティア活動に熱心な、神奈川大学4年の中尾真悟さんと日本大学2年の磯崎加奈さんの、終戦の日特集の後編をお送りします。中尾さんと磯崎さんが考える「戦争の責任」の正体とは?そして、遺骨収集を通して見えてきた現実とは一体何でしょうか?


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―また難しい質問してもいいですか。今までの知識とか経験を踏まえて、みなさんは戦争の責任は誰にあると思いますか?全体的に戦争って誰に責任があるのか。

中尾:超難しいね。

磯崎:めっちゃ難しくないですか。政治的な面から考えたら天皇なんですかね。どうなんだろう。太平洋戦争や第二次世界大戦の前からの流れで来ているわけだから。誰の責任なんですかね。

中尾:戦争の大きな流れは変えられなかったのかなとは思っている。太平洋戦争自体は、日本は資源が乏しいから、どんどん領地を増やしていったわけだけど、結局そういうことを進めていったせいでアメリカから経済制裁を受けたわけで。
結局なんて言うんだろうなあ。資源を取るためには植民地政策しかないっていう大きな流れを自分たちで作ってしまったっていうのもあるし、国を豊かにしようっていう思いから戦争を始めたのかもしれない。
ただ、それがその時は豊かになるための最善だと思っていても、それで人を失いたいって思っていなければどんどんそういうのが大きな流れになったっていうのは。


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―確かに当時の日本も豊かさを求めていたのかもしれないですね。政治的な面は一緒なんだけど、天皇じゃなくて政治家、軍人の都合なのかなと思う。それで、日本国内や外国との関係で、何か目に見えない複雑な流れに国民が絡め取られたみたいな。

磯崎:難しすぎてわからない…。流れとかはひとりひとりの責任なんですかね?誰の責任なんですかね?


―永遠の課題だよね。これがわかったら今後戦争が起きなくなるかもしれないしね。責任が誰なのかはっきりしないから、人類って何千年も戦争を繰り返してきたわけだし。難しいですよね。

中尾:難しいよね。戦争って勝ったら誰のせいってならないじゃん。尊王攘夷だってそうだよね。


―勝てば官軍ですよね。

中尾:負けたら何も言えないってことが、色々な本を読んでて強く感じているかな。
アジア太平洋戦争の後だってアメリカは自分たちの正義は正しいと信じてどんどん戦争をやっていたわけで、結局勝ったら功労者だけど負けたら戦犯だし。難しいテーマだと思う。


―難しいですよね。僕が一番質問したかったのは、今、戦争について真剣に向き合っているお二人に、過去の戦争に対してどうやって向き合っているか知りたかったんです。

中尾:加奈は沖縄の活動の現場でどう感じたとかある?


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―僕は沖縄の活動に参加していないからわからないので教えてほしいな(笑)。

磯崎:沖縄の活動中ガマを探して歩いているときにご遺骨を発見して。遺骨収集情報センターの人に来てもらったら、左右の上腕骨で、大きさからして女性のご遺骨だと判明して、「沖縄戦で亡くなった人の遺骨だ」って言われました。
近くにガマはなく、周りにほかのご遺骨がない開けた道で、ひとりで亡くなったみたいです。「この人にはどんな人生があったのかな」とか「当時どんな思いだったのかな」ってすごく考えさせられました。


―そうなんだね。その場所で70年前亡くなったということですか?

磯崎:たぶんそうだと思います。近くからビンとかお茶碗とか櫛とか結構出てきて。
その方の人生がどういうものだったのかは分からないんですけど、その人にも明日生きようという意思がおそらくあったと思いますし、大切な人や家族もいたのに、戦争っていうものに殺されたんだなって…。
それはめちゃくちゃ考えました。


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写真:何かの計測器でしょうか…。

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写真:2枚ともサイパンの活動で発見したものだそうです。

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写真:硫黄島での写真。中央部にあるのはヘルメットでしょうか。


―そういう出来事は非現実的だからイメージはしにくいですよね。

中尾:俺も1年生の時に、人の歯や手りゅう弾の破片が出たところを初めて見たときは衝撃的だったね。
そのご遺骨の方がどんな気持ちで亡くなったのかなってすごく考える。発見した手りゅう弾の破片で亡くなったのかなとか。
あと、沖縄南部の激戦地だったところで収集していたから軍艦の大砲から撃たれた砲弾の破片もすごくいっぱいあった。
焦げた木の根っこだったり、地層が真っ黒になったところを目の当たりにして、生々しいけど、ここで本当に生きたかった人がいたんだって感じますよね。


―沖縄の活動に行ったら、何かしら考えるものがあると思うんだけど、今後何に繋げていきたいとか考えはありますか?

磯崎:経験したことを周りに伝えるってすごい難しくて。まず家族から伝えてますね。でも、普段から戦争の話はあまり言いたくないというか…。そういう感覚ってありません?


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―それはわかるかも。ボランティアで祭の手伝いしたいですっていうのならわかるけど、全然タイプが違うからね。

磯崎:それで、高校の同級生にも戦争に興味があるって全然言っていなくて。
でも、お母さんや同じクラブの仲間とか身近な人から話したり、ロシアの活動に行きたい思いも伝えたり。今は自分の周りからそういう経験を少しずつ伝えていっています。


―なかなか勇気いるよね。

中尾:俺も一緒かも。2年生になって遺骨収集の話をして、親は昔から関心があることを知っていたから、遺骨収集に行くってことも理解はしてくれた。
だから、親にもよく言うし、友達にもよく伝えるし、サイパン行ってきたよとか。
でも、伝えるって難しいよね。特に大学の友達は難しいね。IVUSAの学生だったら、遺骨収集を知っている人が多いけど、知らない友達は「なんでまた遺骨収集行くの?」「骨怖くない?」みたいな。そういう反応とか意外と多いよ(笑)。


―少なからず誰かに伝えていくなかで、反応というか、良くも悪くも自分に返ってきたものはありましたか?

中尾:戦争を経験されている世代や自分の親が経験している世代はいい反応をくれるかな。
自分の父母の世代って祖父母は戦争を経験している人が今よりも圧倒的に多いわけじゃん?だから「いいことやっているんだね」とか「意義あることだね」と言ってくださる方は多いね。だけど、どんどん年齢が下がるごとに無関心になっていくような気がする。
そもそも関心がないから興味が沸かない人が多いのかな。関係ない感というか。


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―若い人はそもそも詳しく知らない人が多いような気が。

中尾:そうそう。知らないから関心も持てないし自分の考えも持てないのかなと思う部分はあるね。逆に、そのために自分も知っていなくちゃならないとも。

磯崎:親は基本的に私のやることはOKなんですよ。放任主義みたいな(笑)。
でも、「戦争映画とか資料館一緒に行こうよ」って誘っても、そういうのが苦手だったり。IVUSAの友達でも、「本当に血とか苦手なんだ」って行きたくない人もいますね。
それはしょうがないとは思うし、実は私も正直得意ではないです。


―なるほど。反応はあまり芳しくないんですね…。

中尾:芳しくはない。変えなきゃって思っているけど、なかなか変えられないって思うくらい反応は微妙なのかな。


―戦争のイメージって「生々しい」とか「ゲームでしか知らない」とか、そういうところに結び付いてしまうこともあるのかもしれませんね。逆に今まで伝えたことによって、興味なかったけど、変わってくれた人っていますか?

中尾:沖縄の活動に来てくれた後輩も、最初全然興味なかったって言っていたけど、最終的に興味持ってくれたりしたね。
でも、自分の話だけで変わってくれたわけではないかもしれない。変わってくれるというか興味は持ってくれるかな。行動するかは経験するかしないか次第かな。


―そう考えると、磯崎さんも今年のチーム長として、興味はみんなに持ってほしいなと?

磯崎:持ってほしいですね。沖縄の活動が定員オーバーするくらいエントリーしてくれたら嬉しいですけどね(笑)。
去年砧クラブから沖縄にいったのは私一人で。帰り際によくクラブ同士で写真撮るじゃないですか?同じクラブが誰もいないのがすっごい辛くて(笑)。


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―来年はきっとみんなで撮れるようになるよ(笑)。では最後に、あなたにとって戦争関係のボランティアとはどういうものか教えて欲しいです。

磯崎:難しい…。自分にとって、どういうものかってことですよね?


―沖縄の活動や平和記念資料館を訪れたこと、これから行くロシア・ハバロフスクでの活動を踏まえてでも…!

磯崎:「目を背けちゃいけないこと」っていう思いが大きいですかね。
戦争について興味あっても、知るとしんどい部分も多いし、70年前って遠い昔のことと思うかもしれません。
けど、案外身近なものだと思うし、若者だからこそ目を向けて、過去とか未来のことも考えていくべきだなと考えています。

中尾:そういうボランティアを行う中で、一番は「亡くなった方のため、その次に遺族の方のため、自分のため、平和のため」と、この4つが大切だと思っている。
「亡くなった方のため」は、活動で収集しているのはお骨だけど、人として助けたいって考えているから、戦争で亡くなってしまった方を放っておきたくない気持ちが強くて。
「遺族の方のため」は、亡くなった方の帰りを待っていて悲しんでいる方のためにも、土の中から出してあげたいし、家族のもとに返したいって思う。
「自分のため」っていうのは、戦争経験者が少なくなっていくからこそ、ちゃんと自分が知る必要があると思う。この3つを通して「平和のため」へと繋がるのかな。
最終的な目標として、戦争を再び起こさないためになると思っています。

中尾:この順番も大切で、「亡くなった方のため」が一番上に来るのは、遺族の方と一緒に活動したからです。
「自分のお父さんを連れて帰りたい」という遺族の方の思いとか、サイパンでの活動では、お迎えできた骨箱を持たせてもらったことや、骨箱の引渡し式に大勢の帰りを待っている遺族の方がお見えになったことを通じて「命の重み」を強く感じたんです。質量自体の重さと気持ちの重さとね。
それと同時に、重大なことをやっていたんだという自覚も芽生えた。サイパンや硫黄島での活動は日本政府を通した遺骨収集活動だから、それに参加できたという重みも感じた。
それも踏まえて亡くなった方のため、遺族の方のためが上に来るかな。


―お二人とも長い時間取材を受けてくださってありがとうございました!

中尾磯崎:ありがとうございました!


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写真:「目を背けちゃいけないこと」

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写真:「亡くなった方のため、その次に遺族の方のため、自分のため、平和のため」


インタビュー・編集:髙橋諒(神奈川大学3年)
カメラ:原田奈々(神奈川大学2年~special thanks~)


~編集後記~
学校での歴史の授業やテレビの特集を見ている度に、「戦争の責任さえはっきりさせれば、みんな怖くてできなくなるのでは!?」と思うことがしばしばあります。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある通り、戦争で人や街を壊すという同じ行為をしていても、勝てば正当化されます。
また、普通の一般市民ひとりだけでは、世の中を変えられるほどの力はないけど、多数の人が反応すれば、後戻りできない力がはたらいて戦争に繋がる可能性もあります。
つまり、戦争の責任は人であり人でないもの、または見えるものであり見えないものにあると思うのです。(髙橋諒)