IVUSA TIMES

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第87回【終戦の日特集-前編-】〜あなたにとって「戦争」とは?〜中尾真悟さん、磯崎加奈さん

第87回IVUSATIMESは、沖縄県戦没者遺骨収集活動やロシアでの遺骨収集活動など、IVUSA内外で戦争関係のボランティア活動に熱心な神奈川大学4年の中尾真悟さんと日本大学2年の磯崎加奈さんに取材しました。前編後編の2回にわたってお送りします。
8月15日でアジア太平洋戦争終戦から73年が経過した今、ボランティアを通して「戦争」に対する考えは一体どう変化していったのでしょうか。みなさんも戦争について少しでも考えていただけたら幸いです。


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―まずは、自己紹介からお願いします。

中尾:神奈川白楽クラブ神奈川大学4年の中尾真悟です。経済学部現代ビジネス学科で、経営とマーケティングについて学んでいます。

磯崎:東京砧クラブ日本大学2年の磯崎加奈です。商学部なんですけど実は苦手で…。なので総合研究やゼミでは英語ばっかり勉強しています。


―お二人は、今まで戦争関係のどんなボランティアに参加してきたんですか?

磯崎:IVUSAに入ってからは、※沖縄の活動しか行ってないです。

※沖縄の活動=IVUSA沖縄県戦没者遺骨収集活動


―沖縄かぁ。なんで行こうと思ったの?

磯崎:IVUSA入ったきっかけが、沖縄の活動に行くためだったので。


―そうなんだ!沖縄の活動に行くためってことは、遺骨収集をしたいからってこと?

磯崎:新入生歓迎会で、沖縄の活動に行った先輩から色々と話を聞いて。もともと戦争関係に興味があったので行こうと思いました。でも高校の修学旅行で沖縄に行くまでは本当に戦争について全然知らなくて。というか日本史苦手で…。


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―ほう、日本史苦手(笑)?

磯崎:成績1か2かってレベルで苦手で進級も危ういくらい(笑)。人の名前覚えるの苦手だし、勉強しようとも思いませんでした…。
でも、なんとなく戦争があったことは知っていたんですけど、実際に資料館に行って見て回った時に衝撃を受けて。そういう事実があったことを知らなかった自分が恥ずかしくなってしまって。そこから、ちゃんと学ばなきゃいけないと思いました。


―そんなに苦手なんだね(笑)。実際に修学旅行で行ってみて興味を持ったんだね。

磯崎:すごく印象に残っているのが、帰りのバスで、「今戦後って言われているけど、戦前じゃないか」ってバスガイドさんが言ってて。戦争を二度と起こさないためには、色々な人に戦争があった真実を知ってもらう必要があるって話をしていて、戦争のことを伝えるためには、やっぱり自分が知っていなきゃいけないなと。


―「今も戦前」って言葉深いですね。僕も、社会科の模擬授業で戦争について扱うんで、このインタビューが将来活かせればと思います。話は戻りまして、磯崎さんはどういった経緯で沖縄の活動の年間チーム長になったの?

中尾:俺が推した(笑)。

礒崎:それが一番(笑)。

中尾:沖縄のほかにも、※硫黄島の活動に行きたいって言ってくれて、遺骨収集に対して思い入れがあるなって強く感じていたからかな。それで、磯崎さんしかいないって思いました。

※硫黄島の活動=硫黄島戦没者遺骨収集派遣


―確か、真悟さんも硫黄島の活動に過去行ったことがありますよね?

中尾:1回行ったことがあるね。硫黄島に行こうと思った理由は加奈と同じで遺骨収集をやりたくてIVUSAに入ったのがきっかけ。それで硫黄島の活動にも行ってみたいと思って1年生の秋に応募したんだけど行けなくてね。それで、2年生の時に、去年行けなかったからダメ元で応募して行った形かな。


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写真:硫黄島の戦い(1945.2~1945.3)でアメリカ軍海兵隊が上陸した海浜。迎え撃つ日本軍と激戦になった場所です。

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写真:73年前に戦争で使われた大砲もそのままの形で残っています。

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写真:硫黄島で活動する中尾さん。

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写真:硫黄島の慰霊碑。


―色々戦争に関係するボランティアはある中で、2人に共通している「遺骨収集」を選んだ理由があれば教えてほしいです。

磯崎:土に中にまだ眠っているご遺骨をお迎えして、ご遺族の方のもとに返してあげたいたいという思いが一番大きいですね。


―戦争から70年近く経っても帰りを待ち望んでいる方々はいらっしゃるのですね。

磯崎:今年沖縄の活動では、一緒に活動した山崎さんという一般の方と、IVUSAが協働させていただくかたちで取り組みました。
山崎さんは叔父さんを沖縄戦で亡くしていて、「叔父さんのお遺骨をお迎えしたい」という思いで遺骨収集活動をされています。帰りを待ち望んでいるご遺族の方はたくさんいらっしゃいます。IVUSAの学生のなかでも、同じく親戚を沖縄戦で亡くしていたりとか。色々そういうのは聞きますね。

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写真:沖縄県戦没者遺骨収集活動のようす。

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写真:沖縄県戦没者遺骨収集活動の集合写真。


―そうなんですね。ボランティアのほかに何か自分で戦争に向き合うために行っていることはありますか?

磯崎:映画を見たり、本を読んだりですかね。あと資料館にも。


―資料館はどういうところに行ったの?

磯崎:この前は、真悟さんと新宿にある平和祈念展示資料館に行ってきました。

中尾:満州とか※シベリアに抑留された方のことを主に知ることができるところ。そこの語り部さんのお話を聞きに2人で実際に行ってきたよ。語り部さんのお話は毎月やっているから興味があればぜひ!

※シベリア抑留とは、第二次世界大戦終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連によって長期間の強制労働により抑留されたこと。寒冷環境の苛酷な労働と十分な食事や休養が与えられなかったことにより5万5千人が亡くなったとされている。


―ちょっと考えてみます。実際そういうところに行ってみてどうでした?

磯崎:戦争を生身で感じられるというか、本を読むだけじゃ伝わらないものがありますね。


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―語り部の方も実際に戦争を経験されている方なんだね。実際の話を聞くってかなり価値がありますよね。そういう語り部の方は沖縄の活動でも?

中尾:そうだね。俺が1、2年生のときは、太平洋戦争当時しらうめ学徒隊だった方から実際にお話しを聞きました。


―なるほど。でも、戦争経験者ってもう少なくなってきているような。

中尾:高齢化が大きな原因だよね。以前沖縄の活動に参加した時は、特攻隊として無事生還した語り部さんの話を聞いて。その方も92歳とか93歳とか。特攻機の輸送任務に就いていたみたいで。


―特攻の方ですか?

中尾:そうそう。その時に、何人も同期が特攻で亡くなってるとかそういう話を聞いて。実際に経験しないと分からないようなことだから、言葉のひとつひとつにすごい重みがあったね。映像とか本では比べものにならなかった。


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―重み。実際に経験された方から聞くお話はかなり貴重なものになってきているということですね。真悟さんは戦争関係の本とか、よく読まれていると聞いたのですが…。

中尾:めっちゃ買ってる。課金してる(笑)。


―そういう本って、こういう活動を通して読んでみようかなって思ったりしたんですか?

中尾:もともと戦争関連の本は小さい時から読んでいて。ただその頃は漠然と歴史を知りたい気持ちが大きかったから、開戦から終戦までの戦争の流れも漠然と分かっていただけで。
だから、実際の戦争が何だったのか、遺骨収集をやってる上で、きちんと知らないといけないという思いで読みはじめました。とりあえず買って、今どんどん溜まってるからちゃんと読まなきゃとは思ってるけど…。


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写真:中尾さんが※サイパンの活動の際に入手された戦争関係の本。

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写真:中はこういう感じです。

※サイパンの活動=マリアナ諸島戦没者遺骨収集派遣


―でも、すごいなと思います。学校で使う歴史の教科書って、要点をまとめないといけないからそこまで詳しくやらないというか。だから、行間を読む勉強ってとても大切な気がします。

磯崎:私はネットの記事で民間人の戦争体験談とか結構興味あって見てるんですけど、さっき言っていたように教科書って「戦争が始まりました~結局どっちが勝ちました~」としか書いてなくて。
そこに書かれていない中にもひとりひとりすごい辛くて苦しい思いをしてる人がいるってことをちゃんと知っておきたいなと。
8月には※ロシアの活動に行くので、今は※シベリア抑留の本を図書館で借りて読んでます。大変です。

※ロシアの活動=旧ソ連抑留中死亡者遺骨収集派遣


―シベリア抑留かぁ。YouTubeで見たことあるな。強制労働で、体重が60キロから40キロに減っちゃったとかそういうかなりショッキングな内容でしたね。

中尾:亡くなった方全てに大切な人もいただろうし、それぞれ歩んできた人生があったし、生きたかった未来が戦争で奪われてしまって。
それから70年以上経ってもまだ日本に戻れないままの方がたくさんいるのに、同じ日本人として忘れ去ってほしくないなっていうのがある。ちゃんと日本に帰してあげたい気持ちは硫黄島の活動とかサイパンの活動行って特に感じたかな。
この2つの島は、米軍の爆撃機の飛行場になっていたから、ここでの戦いがすぐ終わってたら、日本本土の空襲被害がさらに大きくなっていたかもしれない。
それで仮に祖父母が亡くなっていたら今の自分もいないしね。亡くなった人たちが自分たちにも少なからず関係しているのは強く感じたかな。


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写真:現地での遺骨収集活動がサイパンの新聞に掲載されたみたいです!


―確かに繋がりはありますよね。あの時、1日でも戦争が延びていたら、今いる人がもしかしたら誰もいなくなっちゃうこともありえますからね。これまでの経験を通して、自分なりに戦争についてどういう考えがあるのかとかありますか?

中尾:戦争についてどう考えてるか。そうだね。小中高とかまでは戦争って歴史のひとつとして考えてて。実際に終戦から現在まで日本は戦争をしていないし、他人事でどこか遠いものだと感じていた。
だけど、実際に戦争があった場所に遺骨収集に行くと、叩きつけたら今でも爆発するような手榴弾が出てきたこともあったし。
そういう実際に戦争で死をすごく近く感じたというか、それで、歴史のひとつとしてじゃなくて、実際に自分の身に降りかかったらどうなのかなって考えるようになったかな。他人事から自分事に。


磯崎:当時の人も戦争が無ければ疑いもなく明日も生きれるって思ってたわけで、それが自分も大切な人も命を落とさなければいけなかったし、何だろうなあ。


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―まあ難しいよね。

磯崎:極端に言えば、いけないこと。多くの人が悲しむし。

中尾:今は戦争がない状況が当たり前だから、当時の毎日生きるか死ぬかわかんないっていう状況だった時に比べて、今は平和なんじゃないかなっていうのは思うし。だから今が大切かな。


―でもそれって深いですよね。1990年代後半生まれの僕たちって、生まれる前のことは実際に経験してないから全く知らないわけで。また難しい質問してもいいですか。今までの知識とか経験を踏まえて、みなさんは「戦争の責任」は誰にあると思いますか?


~後編へ続く~
次回後編では、中尾さんと磯崎さんが考える「戦争の責任」の正体とは?そして実際に遺骨収集活動にかかわる中で見えてきたリアルな現実とは?次回もぜひご覧ください。


インタビュー・編集:髙橋諒(神奈川大学3年)
カメラ:原田奈々(神奈川大学2年~special thanks~)